契山館 千葉分会ブログ

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信仰心という人間の本性

【投稿者:ヒカル】

先日、宗教団体の教祖の死刑が執行された。

しかし、後継団体の信者数は、依然増え続けているという。

 

『教団、3団体に分裂…公安「危険な体質は不変」』
https://www.yomiuri.co.jp/national/20180706-OYT1T50044.html

 

団体が、社会的弱者の受け皿になっているなど、様々な原因が考えられるようだ。


なぜ人は宗教や信仰に向かうのだろうか?

人間の本性として、もともと「信仰心」というものが備わっているからではないか?

「信仰」については、遠藤周作「深い川」やドストエフスキーカラマーゾフの兄弟」など、文豪の小説の大きなテーマにもなっている。

そんな中、現代の聖なる書においては、信仰について、どのように記されているだろうか?

神体 - 偉大なる魂の生涯 (MyISBN - デザインエッグ社)

神体 - 偉大なる魂の生涯 (MyISBN - デザインエッグ社)

 

 『神体』の第18章「最初の人類」において、

「人間がどうしてこの地上に降り立ったのか」、そして
「人間が神霊やそれに連なる上級霊魂を求める存在であること」について詳しく記されている。


つまり、われわれ人間の中に、本性としての「神への信仰心」が内在していることが分かる。


しかし、現代社会の価値観によって、人間の本性である「信仰心」が覆い隠されてしまった。

科学の発達は、神への信仰を遠ざけるし、世界中を、あまねく資本主義が席巻することにより、やはり神への信仰から遠ざかっていく。

また、人間の内面の奥深くから芽生えてきた「神への信仰心」も、育まれるどころか、誤った宗教団体に引きずられ、真の信仰の道から、大きく逸れるに至った。

われわれは信仰の危機に直面している。

 

そんな中で、人類を救済するために、ご神霊は聖なる書を、この地上に降ろされた。

 多くの人が気が付いていないが、これは地上の奇跡である。

あなたの本性として内在する「信仰心」に耳を傾けてほしい。

そして、どうか正しい信仰の道を歩んでほしい。


あなたが真に幸福の道を歩まれることを、心よりお祈りしている。