契山館 千葉分会ブログ

このブログの内容は、契山館の公式な見解ではありません。会員の理解の範囲内で自由に書かれたものであり、誹謗中傷や誤解を招く場合を除き、千葉分会は干渉しておりません。

科学は宗教を否定する?

【投稿者:チビクロ】

「事実は小説より奇なり」

という言葉がありますが、まさにそれを感じさせる事実があります。

それは、現代の自然科学の土台はすべてキリスト者によって始まっているという事実です。

しかも、自分の信仰と切り離して追及したのではなく、

「天地万物を造られた神がおられるのであれば、自然や宇宙には秩序があるはずだ。」

という確固とした信仰があったので、それが膨大な研究の動機付けにさえなっていました。

ガリレイケプラーコペルニクスニュートンパスカル、そして
アインシュタイインも(キリスト教徒ではないですが)有神論者でした。

ニュートンは、自然科学の書籍よりも神学や聖書釈義の書籍のほうを多く書き記している程です。

 

「神」という存在は、科学によっては証明することはできません。

けれども、肯定はできませんが、否定することもできないのです。

科学は物事の事象がどのように成り立っているのかを説明することはできますが、その事象がなぜできたのか(理由)またどうしてできたのか(目的)を解明することはできません。

 

たとえばニュートン万有引力の法則を発見しました。

その発見により、地上の物体の動きから月や天体の運動に至るまで法則にもとづいて
理解し、予測することもできるようになりました。

ですが、なぜその法則が存在するのかは、分かりません。

アインシュタインはその後、より理論的考察を深めることにより
物体の質量による空間の歪みが万有引力の原因であると説明することに成功しました。

そして、実験的にそれを検証することにも成功しました。

ですが、なぜ物体があるとその周りの空間が歪むのか。

なぜ?という質問には答えられません。

アインシュタインでも無理なのです。

だから、アインシュタインも、人知を超えたところに自然界の法則をつかさどる神がいらっしゃるに違いない、という信念をもつにいたります。

アインシュタインだけではありません。

どの分野の科学者でも、信仰というのは科学とは別の次元の、科学を超えたところに存在するので、信仰と矛盾するものではないことを知っています。

もちろん聖書の記述や奇蹟は科学では理解できませんが
それは神話の一部として認識するのが一般的ではないかと思います。

科学とは検証可能なものであり、絶対真理ではないこと、
そして新しい現象や発見によって塗り替えられていく暫定的な真理でしかないことを一番実感しているのはむしろ科学者の方ではないかと思います。

科学は万能ではありません。

科学信仰は、科学者からみても(科学自体の発展を念頭においた場合も)
健全な態度ではないと思います。

そのような科学信仰にもとづいて神など要らないという人生の生き方そのものまで決定付ける時、それは誤解を通り越して論理の飛躍、理性の放棄といっても過言ではありません。

神はいるかもしれないし、いないかもしれない。

霊魂はいるかもしれないし、いないかもしれない。

私は知らない。

これが、真に科学的な態度ではないかと思います。

 

何かを感じられた方は、こちらの本を読まれることをおすすめします。

霊魂は居ると思いますか? - 真の霊媒が示す霊魂現象の真偽 (MyISBN - デザインエッグ社)

霊魂は居ると思いますか? - 真の霊媒が示す霊魂現象の真偽 (MyISBN - デザインエッグ社)

真に科学的な態度をもって、改めて宗教というものを見直してみたら、今まで見えていなかった「何か」が見えてくるかもしれません。