契山館 千葉分会ブログ

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被害者意識

【投稿者:チビクロ】

社会学者で、被害者意識の文化を研究している
Bradley Campbell氏とJason Manning氏によると、
現代人は些細な攻撃にも反応するように教育されていると言います。

問題を自力で解決するのではなく、他者を攻撃し、
自らを被害者のように見せることで、他人に被害者として
認めてもらおうとしているのです。

被害者意識を持つ人たちは、自分の行動や境遇は自分のせいではないと考えています。

自分の狭い視野で作り上げた「物ごとのあるべき姿」を信じていて、
そうでないものを受け入れることができません。

理不尽な上司や迷惑な同僚がいても、愚痴を言うだけ。

そこから学び、我がふりを直すということもしません。

自分の考えや行動を、論理的かつ合理的な考えとは対極にある感情に任せていると、
私たちは人生に不満を抱くようになります。

障壁や不運が学びと成長のチャンスであることを、いつの間にか忘れてしまうのです。

被害者意識の存在は、文字通り天地創造にさかのぼります。

アダムは、禁断の果実を食べたイブを責めました。

そしてイブは、自分をそそのかした蛇を責めました。

だから人類が被害者意識をもっているのはアダムとイブのせいだ、
という発想も文字通り被害者意識に他なりません。

 

神に自由意志を与えられた人間は、他人や出来事に対する反応を、
自分で選ぶことができます。

「自分の行動に責任を持つ」か「他人のせいにする」かの2択です。

自分の状況を外的な要因のせいにすることは、自分を奮い立たせて前に進む必要がないと自分に言い聞かせているようなものです。

それでは失敗から学び、成長し、成熟することができません。

優れたリーダーになるには、その逆をしなければならないのです。

自分の弱みや過ちを認識し、自分の運命は自分の責任であることを
受け入れる必要があります。

 

水波霊魂学の著書には、次のような一節があります。

(若くして他界し、神を信じていたにもかかわらず、いわれのない逆恨みが原因で、
死後地獄のような世界に落ちてしまった霊魂が、必死に神祈り続けて、
長い年月の後、ようやく上の世界に入ることができたというエピソードに関して)

「彼は意思が強かった。そうでなければ、まず上には上れなかったであろう。

 自分が悪いわけでもなく、まじめなのに、

 逆恨みで地獄のような世界に落ちるのである。

 何でも他人のせいにするような弱い人であれば、

 千年経っても脱出できなかったに違いない。

 力のある人だからこそ、苦難を乗り切ったともいえる」

(『指導霊-死後の世界から人々のために-』P.60)


エスキリストも、自分がいわれのない理由で十字架にかけられ、
今まさに殺されようとしている時、

「自分がこんな目にあったのはローマ皇帝のせいだ、ユダヤ教徒のせいだ、
 弟子たちのせいだ、ユダの裏切りのせいだ。」とは言いませんでした。

そうではなく、神に祈ったのです。

「彼らは自分が何をしているのか、分からないのです。
 どうか、彼らを赦してください。」

そこには、被害者意識のかけらも存在しません。


人間関係を破壊し、自らの成長を阻害する被害者意識。

理不尽な憎悪と復讐の渦に人間を巻き込み、
この世からも死後の世界からも救いをなくす被害者意識。

その対極にあるのが、もしかすると神への信仰心なのかもしれません。

 

指導霊 - 死後の世界から人々のために (MyISBN - デザインエッグ社)

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