契山館 千葉分会ブログ

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悔い改め

【投稿者:チビクロ】

水波霊魂学の著書『霊魂イエス』には次のように書かれています。

「(邪悪な霊魂たちにとっては)要は、誰がどうなってもかまわない。
 イデオロギーがどうであろうが、そんな事は問題ではない。
 戦いになり、人々が傷つけば、それで良いのである。
 いつも簡単明瞭である。
 人々が殺し合えば、必ず恨む人達が出る。
 夫を殺され、あるいは妻子を戦火で焼かれ、地上には、
 恨みと憎しみの思いが渦を巻く。
 それらの念が低い幽気を引き付ける。

 そうなると、高級な霊魂は近寄れない。
 それが彼らの狙いなのである。」
『霊魂イエス 下巻』(P120)


人類の歴史は戦争の歴史といっても過言ではないくらい、争いを繰り返してきました。

一方的な大虐殺など理不尽な場合もあるし、
双方、正当な言い分がある場合もあるかもしれません。

ですが、それらの争いの受益者は人間ではなく邪悪な霊魂達のようです。

邪悪な霊魂たちは、暇つぶしのおもちゃとして地上の人間を利用したいだけなので、「だれが」「どんな思いで」などは意識すらせず、ただ争わせ、
それによって生じる憎しみの念で地上を低い幽気で満たし、
さらに地上の人間をおもちゃにして楽しみたいだけなのです。

言い方を変えれば、私たちが怒りや憎しみを表現し、お互いに争うということは、
邪悪な霊魂たちの「人間をおもちゃにして楽しみたい」という欲望に対して
無条件に奉仕しているということです。

人間は、怒りや憎しみを表現し、お互いに争うことによって
邪悪な霊魂たちに対し、見返りを求めない無条件の奉仕をしているのです。

場合によっては、それによって刺し違えても構わないというレベルの
自己犠牲の精神を発揮してまで、邪悪な霊魂たちに対し、
見返りを求めない無条件の奉仕をしているのです。

一方で神仏に対しては、わずかな賽銭を投げてご利益を求め
ご利益がないと分かるととあっさり見切りをつけて
パワースポットやスピリチュアル、引き寄せの法則などを求めているのです。

自分の事を真に愛している存在を無視してないがしろにし、
自分の事をおもちゃにしたいだけの存在に無条件の奉仕をしている

このことに気づいた時、人は本当の意味で悔い改めるのかもしれません。

『霊魂イエス』には次のように書かれています。

「もし人間たちが、本当に心を神に向け、真剣に修行するならば、
 邪霊など、何百、何千人いようと関係ない。
 人々の放つ霊的な気が高級化することによって、
 邪霊達は自然に居づらくなってしまうからである。
 戦争、そして、様々な争いを邪霊はいつもそそのかす。
 しかし、それを選んだのは人間である。
 結局は、自分で選んだ結果なのである。」
『霊魂イエス 下巻』(P.121)

霊魂イエス 下巻 - 霊魂の世界から人々を導く (MyISBN - デザインエッグ社)

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