契山館 千葉分会ブログ

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真に神的な生き方

【投稿者:チビクロ】

水波霊魂学の著書『霊魂イエス』の中で、次のように書かれています。

(ある青年が、グル(指導者)を求めてインドに行こうとしていた時に、
夢に出てきた人からのお告げで)

「しかし、現実を見よ。お前の言う神人合一とは、誰も話し相手がなく、
 職場でも孤立して、一人淋しく瞑想することか。
 そのうち、何か得体の知れない至福感に満たされる。
 それが、お前の言う神人合一か。お前の周りの人を見よ。
 皆、辛いことも我慢して、日々、懸命に生きている。
 お前のように知識はない。難しいことは何も分からない。
 しかし、彼らの方が、はるかに神的である。」

「お前は、単に知識の化け物、機械にすぎない。
 人との交流、個々の通い合いによってしか得られない大切なものを、
 お前はこの歳まで、すべて放棄していたのだから。
 お前が真に指導者を必要とするのはもう少し先だ。
 今のグルは、インドでも、その他、どの国でもなく、自分の国である。
 自分の国に今いる人達、その人達が真のグルである。
 その人達から学ばねば、お前は今後も、何も得られることがないであろう。」
(『霊魂イエス 下巻』P.100)

この言葉でその青年は大きなショックを感じました。

そして結局インド行きは断念し、それまでの考えを改め、
やがて人間関係の中に喜びを見出せるまでに成長しました。

そのときから、彼の人生は本当の意味で神と共になり、
真の求道者となったようです。

(『霊魂イエス 下巻』P.110参照)

ここで、ひとつとても印象に残った言葉があります。

それは、
「人との交流、個々の通い合いによってしか得られない大切なものがある」
という言葉です。

修行者になるとつい忘れがちになってしまうのが
人間そのものではなく、霊力(幽体の力、霊体の力等)ばかりを
見てしまうということではないかと思います。

この文脈では、「幽体や霊体が鬼のように発達した人たちと交流しなさい」
というふうには書かれていません。

そうではなく、ごくふつうの人達、身近な隣人たちと交流して、
その人達から学ぶことが必要だ、と書かれています。

しかも、知識がなくても日々懸命に生きている人達の方が、
知識の化け物になって孤立している人よりも、
はるかに神的な生き方をしている、と書かれています。

ということは、たとえ霊魂学の正しい知識を詰め込んで、
霊力をどれだけ高めたとしても、人間関係を避けて孤立しているのであれば
到底神的な生き方とはいえない、ということにならないでしょうか?

いや、それも神的な生き方なのかもしれません。

私は未熟なので分かりません。


ただ霊力の向上もカルマの解消も実際には
自分の意識の中の未熟な部分を成長させることが本質であると
とらえるならば、たとえ「正しい教えの」修行者であっても
ふつうの人たちとの交流の中で、
日々自分の未熟な部分を見付けて
それを向上させていくことが重要なことなのではないかと思います。

水波霊魂学で「生活の中の修行」と言われているのは
おそらくそういうことではないかと私は思っています。
もちろん私が間違っているのかもしれません。

ただ、「この人は幽気が穢れているから近寄りたくない」とか
「この場所は低い幽気が集まっているのにこんなところに来る人たちは愚かだ」
とか考えて日々行動しているとしたら、
自分の未熟な点を反省する機会は
人生の中に見つけることはおそらくできないのではないかと思います。

「私は悟った」と言っている人からは高級霊魂が去ってしまわれるように
「私は正しい」と言っている人からはふつうの人は去ってしまうかもしれません。

そして普通の人たちが去ってしまうのであれば
「正しい教え」である霊魂学を広めることもできません。

そうなれば誰も救われなくなります。

では自分は救われるのかと言えば、本当の意味で成長していなければ
どこかで足をすくわれてしまうかもしれません。

『神伝禊法』には次のように書かれています。

「どんな霊的修行にとっても大事なことがある。
 それは、高慢にならないことである。
 これは、非常に大切である。これが頭から消えてしまった人は、
 霊的修行を続けるべきではない」
(『神伝禊法』P.100)

正しい教えを実践している霊的修行者だからこそ、
より一層ふつうの人達との交流、個々の通い合いによってしか得られない
大切なものを重視する必要があるのではないでしょうか。

その努力こそが、本当の意味での自分自身の成長と、
霊魂学の普及に重要な役割を果たすのではないかと
個人的には考えています。