契山館 千葉分会ブログ

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物質界の本当の価値

【投稿者:チビクロ】

水波霊魂学の著書『霊魂イエス』には次のように書かれています。

「霊魂の世界というものは、階層によって明確に分かれている。
 各階層には、霊的な身体の状態が最も相応しい霊魂が生活している。
 未発達な霊魂が、より高級な世界へ行っても、決して心地良くはない。
 その霊的身体の目には、眩しすぎて居づらいからである。
 また、上の方の霊魂が下へ行っても、また、居づらい。」

「しかし、物質界は違う。
 物質の世界の人達は、霊的身体の成長に、一人一人、差がある。
 相当に進歩した人もいれば、そうでない人もいる。

 聖者と悪人が同時に住みうる世界、肉体という衣があるために、
 水と油のような両者が共存する世界、だからこそ、双方共に、
 様々な霊魂の影響を受ける。
 高い方も、低い方も、共に影響される。
 こんな不思議な世界は物質界のみである。
 それが、高級な霊魂界、そして、未熟な霊魂界共に、
 強い意識を地上にかける理由の一つなのである。」
(『霊魂イエス 下巻』P.130)


分かりやすく言うと、

死後の世界では、上の世界と下の世界の霊魂は交流が難しいけれども
物質の世界では、上の世界と下の世界の霊魂の双方と交流できるということです。

ここで、死後幸いにして上の世界に入れたと仮定します。

上の世界のミッションは、物質界や、下の世界の霊魂を導くことのようです。

ですが、物質界の人間を導くにも、次元が違うので直接話ができません。

また上の世界の霊魂は、物質界の人間の幽体オーラが強くないと交流できません。

特に現代のように無神論がはびこる時代には、ほとんどの人の幽体は弱いため、
だれがどこにいるかも分からないようです。

仮にわずかに見えたとしても、インスピレーションを飛ばすのが
精いっぱいのようです。

それも結局気付かれずに無視されているのが現実です。

下の世界の霊魂とは、次元は同じでも霊的身体が適応できないので交流できません。

ふつうの感覚でいえば「ほとんど何もできない」ということに
なるのではないかと思います。

ですが物質界の人間は、ふつうの感覚で言って「なんでもできる」のです。

霊的修行をして正しい祈りで上の霊魂を求めれば、
来ていただいて交流することもできますし、
同じ物質界の人間とは、直接話をして意思疎通することができます。

また下の霊魂を呼ぶような活動を行えば下の霊魂を呼び寄せて
交流することも可能です。

またあえて呼ばなくても物質の世界にあふれている不道徳な霊魂
(死後下の世界から物質界に逃げてきた霊魂)と交流することもできます。

それだけでなく、
今同じ物質界の人間に対して直接話をして意思疎通できるということは、
見方を変えれば将来上の世界に行く人とも、将来下の世界に行く人とも
分け隔てなく交流できるということになります。

死後別々の世界に行ってしまったら会えなくなる人とも
物質界にいる間であれば、意思疎通し、交流することができるということです。

であるとするならば、上の世界を目指している霊的修行者にとって、
物質界で無駄な交流など一つもないということになるのではないでしょうか。

なぜなら、どんな人との交流も、死後上の世界に入った際にミッションとなる
「物質界や、下の世界の霊魂を導く活動」ととらえることができるからです。

さらには、物質界で自分が霊的に成長することで、
物質界に逃げてきている不道徳な霊魂も、その影響を受けて
救われることもあるようです。(『霊魂イエス 下巻』P.130参照)

であるとすると、物質界の霊的修行者は、
死後、上の世界に入ったらアクセスできなくなる場所や人、霊魂とも交流し、
良い影響を与えられる、
ということになるのではないでしょうか。

これは不運ではなく、ある意味絶好のチャンスとも考えられます。

修行者でないふつうの人や、信仰心や幽体の力が弱い人が
そういう交流を求めてしまうと影響されて落ちてしまう可能性がありますが、

神伝禊法や神伝鎮魂法を日々実修している修行者であれば、
何も恐れる必要はないように思います。

物質界にいる間に、霊的修行者など上の世界に行けそうな人とだけ交流したり

「どこそこのパワースポットは霊的に低い場所だから近寄らないようにしよう」
「ご利益を求める人は意識が低いから関わらないようにしよう」

というような発想は、物質界の霊的修行者の心構えとして、
物質界の本当の価値を投げ捨ててしまっているような気がします。

それは死んでからやればいい話といいますか、
死んで上の世界にいったらそれしかできなくなります。

死んだら上の世界にいく可能性が高い修行者だからこそ、
生きているうちは、生きているときにしかできないことにフォーカスしなければ、
死んだ後、もしかすると自分自身が後悔するのかもしれません。

もちろん私の視野が正しいわけではなく偏っているかもしれません。

また誰もがそうすべきだと言いたいのでもありません。

ただ、霊的修行者として本当に神霊のお役に立つためには
霊的に穢れた環境に自ら飛び込んでいくくらいの
覚悟をもつ必要があるのではないかと個人的には考えています。