契山館 千葉分会ブログ

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死と向き合う難しさ

【投稿者:なおいー】

 

 

 

私は、自分自身が死んだらどうなるのか?
それが知りたくて、死と向き合い、その結果、
《契山館》に辿り着くことが出来ました。

ですから、人はいつか必ず死ぬ、という現実と向き合うことが、
《契山館》に辿り着くための、重要なきっかけの一つだと思っています。

しかし、かつての私がそうであったように、何の当てもなく、
闇雲に死を意識することは、あまりにも過酷で、場合によっては、
生きる希望や、努力をする気力等をも奪ってしまいかねません。

それゆえ、世の多くの方々が、自らの死、という現実から目を背け、
あたかも、自身は死とは無縁で、この世でずっと生き続けるが如き、
幻想の中に生きておられるように見受けられるのも、もっともだと思うのです。

先々のことはともかく、今現在は、死のことなど考えない方が、
幸せに生きられると錯覚してしまうのです。

死などという不吉なことは、遠ざけたいのです。

死と向き合い始めたものの、死後の世界があるという確信を得るための出口が
見えなかった、私の小中学生時代は、まるで死刑囚のような心境で、
「死んで無になるのなら、何をやっても無意味で、いつ死ぬか分からないのに、
 努力などする意味がない。」
と思っていました。

死ぬのが怖かったので、自殺こそ考えなかったものの、
勉強が手につくような状況ではありませんでした。

また、自身が不治の病にかかっている、との幻想にとりつかれていて、
今日こそは呼吸が止まり、心臓が止まるとの恐怖に怯えた毎日でした。

そのような、悲惨な状況から抜け出すきっかけとなったのは、
高校生になって、大人向けの宗教書が読めるようになったことでした。

数年間、様々な宗教書を読んだ私は、ある神道新興宗教創始者の方のご著書に
感銘を受け入信し、死後の世界があるという確信を深めました。

確か1982年頃で、19歳の頃だったと思います。

当時、創始者の方は90歳前後のお歳で、すでに第一線を退かれていましたが、
100冊以上の著書を出版されていました。

もちろん、最も大切な《幽体を鍛える》ことの重要性は、
書かれてはいませんでしたが、私が心の平静さを取り戻すためには、役立ちました。

私が長年の死と向き合う苦痛と、無気力状態、
原因不明の体調不良から抜け出せたのは、そのご著書のお陰でした。

しかし、いくら肉体に付随する心が救われても、《幽体》が救われなければ、
私達の未来は暗いと言わざるを得ません。

その後、仏教系の新興宗教スピリチュアリズムと渡り歩いて、
7年ほどの空白期間の後、私はようやく《契山館》に辿り着くことが出来たのです。

 

どんな方にも、人生の中で「死」を意識せざるを得ないことが、
何度かはあるものでしょう。

それは、出来れば直面したくない、不幸な出来事かもしれませんが、
霊的な真実に気づき、《契山館》に辿り着くという面から言えば、
貴重な機会なのかもしれません。

真剣に死と向き合った方が、私のように長年苦しんだり、宗教巡りをすることなく、
迷わず《契山館》に辿り着かれ、
《神伝の法》の霊的トレーニングを始めて頂けるように、
《契山館》《神伝の法》の存在を知って頂くための、
努力を惜しんではいられません。

今の時代、《死後まで続く幸福》への道を歩み続けるためには、
《神伝の法》で《幽体を鍛える》しかないのですから。