契山館 千葉分会ブログ

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許す

【投稿者:チビクロ】

人種差別を旨とするキリスト教原理主義教会の思想の原型となったM教は、
19世紀初頭、米国A州の農民の子として生まれた教祖Sによって始められました。

その後Sによって出版された588ページに上る経典には、
紀元前400年、イスラエル人がアメリカに渡り生活を営んでいたが、
インディアンの攻撃によってイスラエル人が全滅させられた、
と記載されています。
 
そのため、キリスト教原理主義教会の信徒には、インディアンに復讐し、
絶滅させ、その土地を奪って良い。

それが敬虔な、キリスト教徒の仕事であると、説教されています。

ところが実際には、紀元前400年、イスラエル人が、
アメリカに住んでいたという記録、
インディアンと蔑称されてきた先住民によって、
イスラエル人が全滅させられた、と言う歴史的事実は存在しません。

また、ユダヤ教徒が殺害された復讐のため、
ユダヤ教徒ではないキリスト教原理主義の信者が、
先住民を絶滅させて良い、という論理も成立しません。
 
19世紀初頭、アメリカ西部開拓の「先兵」として、
米国陸軍と共に、ロッキー山脈を越え、アメリカ最西端へと開拓を進めていった
キリスト教原理主義教会の信徒にとって、「開拓」とは先住民を虐殺し、
その土地を奪う「略奪行為」でした。

この略奪行為を実行する先兵達にとっては、上述の経典の記述は、
人殺しを正当化する、極めて便利な、便法となったのかもしれません。

このとき陸軍騎兵部隊を率いたチヴィントン大佐は、
もともとはキリスト教メソジスト派の牧師でしたが、のちに従軍牧師になり、
やがてインディアン絶滅を力説する好戦的な軍人となったようです。

この年の州議会総選挙で、彼は州議員候補に名乗りを上げていました。

チヴィントンは選挙演説で、インディアン嫌いを隠そうともせず、
次のような言葉を残しています。

「インディアンに同情する奴は糞だ!... 私はインディアンを殺さなければならない。
 そして神の天国のもとではどのような方法であっても
 インディアンを殺すことは正しく名誉あることであると信じる。」
 
このカルト宗教思想によって、南北米大陸に5000万人居た先住民は、
虐殺によって最終的に3万人に激減しました。

人口の99・94%が虐殺された事になり、文字通り皆殺しです。
 
サンドクリークの虐殺は、1864年11月29日にアメリカのコロラド地方で、
米軍が無抵抗のシャイアン族とアラパホー族インディアンの村に対して行った、
無差別虐殺ですが、そのときの生々しい様子が下記に記載されています。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%89%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%81%AE%E8%99%90%E6%AE%BA

出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』

この悲劇は、1970年に公開された『ソルジャー・ブルー』という
アメリカ映画の中でも描写されています。

ただ現実は映画よりもさらにひどかったようで、上のウィキペディアの引用箇所

「指輪を奪うために指を切断し、子どもも合わせた男性の陰嚢は
「小物入れにするため」切り取られた。男性器と合わせ、女性の女性器も
「記念品として」切り取られ、騎兵隊員たちはそれを帽子の上に乗せて意気揚々とデンバーへ戻った…」
というような部分は映画化されていません。


もし私が、虐殺された先住民であったら、
たとえ上層幽界にいける幽体を持っていたとしても、
下の世界に降りて行って侵略兵に復讐するかもしれません。

どんな経典も宗教も投げ捨てて
侵略兵たちを地獄の底まで追い詰めるかもしれません。

自分や大切な家族をここまで理不尽なやり方で踏みにじられて、
黙っていられる人はどれくらい、いるのでしょうか。

もし悟ったような顔をして黙って見ていられるとしたら
私には人間の心を持っているとは思えません。

ですがもしかすると、私たち自身が侵略兵の再生なのかもしれません。

あるいは逆に先住民の再生なのかもしれません。


もし私たち自身、もしくは私たちが救おうとしている人達が
侵略兵の再生であったとしたら、
先住民の霊魂や先住民の再生の人達はどう思うのでしょうか。

「許しがたい人」を救うということになります。


その「許しがたい」心情を超えるレベルの覚悟がなければ
もしかすると人を救うことはできないのかもしれません。

そしてその覚悟というのが、「許す心」なのではないかと思います。

たとえ自分が先住民の立場であっても、侵略兵を許す心をもって、
はじめて人を救うことができるのではないかと
最近になって思うようになりました。

もし自分に許す心がなければ、
許しがたい相手を救うことができないばかりでなく、
逆に救おうとしている相手の幽体を傷つけて
地獄に突き落としてしまうかもしれません。

そして何より、私たち自身がその「許しがたい」存在である可能性もあります。

その場合自分で自分を許すことができず、自らの手で
自分を地獄に突き落とすというようなことも、もしかしたらあるのかもしれません。

本当の真実は死んだ後でないと分からないと思います。

ですが、私たち自身が「許す心」を持たない限り、この地上で救われる人は
ただの一人もいないのではないかと思います。

許すということは、過去の心情を水に流すことです。

過去の心情だけでなく、過去世の心情もすべて水に流して
初めて人を救う活動ができるのではないかと思います。

そして、それを可能にするのが
「神伝禊法」といわれる霊的修行法です。

ひとりでも多くの方に、この「神伝禊法」を実践していただき、
この世界に救いの輪を広げていただきたいと思います。

あなたが本当の自分に向き合う決意をする日を
高級霊魂とともに、
契山館支部会員一同、心よりお待ちしています。

『神伝禊法』: 新時代の霊的トレーニング (MyISBN - デザインエッグ社)

Kindl版もあります。

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