契山館 千葉分会ブログ

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作品と読者の距離

【投稿者:ヒカル】

「宗教の分野とは、小説側だろうか?テレビ側だろうか?」

「実践小説教室」という書籍を読んでいる際に、ふっと思ったことだ。

絶対、小説の側であろう。

こんな風に書かれている。

「作品と読者の間に100メートルの距離があるとします。
 読書体験というのは、その途中で両者が出会うことです」

「作品または作家は、読者に伝わるような表現や描写をすることで
 読者に歩み寄ります。読者は、作品の意図をくみ取ることで
 作品に歩み寄ります。

 最もバランスが取れているのは、作品と読者が中間の50メートル地点で
 出会うような作品でしょう」

(難解な小説は、読者が90メートルくらい
作品に歩み寄らないといけないと述べている。)

 

「ちなみにテレビは視聴者に100メートル寄っていくメディアです。
 見る側はひたすら受け身でいられるので、
 疲れていてもぼーっと見ることができます。
 小説を読むのには、労力と努力がいります。
 だからこそ、読み終えたときの充実感も格別なのです」

 

これを読んで宗教分野は、明らかに小説寄りだと思えた。

「どうして生きているのか」
「私とはなんだ」
「人間とはなんだ」

そのような哲学的で根本的な問題意識からはじまって、

しまいに第一者、神、創造主、ご神霊、キリストなど、
言い方は様々であるが、

「神を求めること」へと意識が向かっていくのである。

テレビのように視聴者に歩み寄って来る存在ではなく、
自分の問題意識から始まって、自分の意思で
「求める」べきものだからである。

「求める私」と「求められる神」との距離は
「永遠」もしくは「∞」であろう。

そして、契山館も
実在するご神霊やキリストを信仰するため、宗教の分野に区分される。

あなたが神を求める存在であれば、契山館は信仰の対象となる。

そして、契山館の霊的修行者が広報活動を行う背景には、
実在するご神霊やキリストが、真に高貴な御力をかけてくださるのが、
地上では契山館のみであること、

地上の霊的な環境が著しく悪くなっており、一人でも多くの人が、
他界後に不幸にならないよう、何とかしたいと考えていること、

宗教分野が商業と結びつき、あまりにも偽物の団体が増えてしまい、
あなたが騙される懸念もあること、
などを考えているからである。

あなたが「真の神を求める存在」として、
契山館の道を選択することを、心より願っている。