契山館 千葉分会ブログ

このブログの内容は、契山館の公式な見解ではありません。会員の理解の範囲内で自由に書かれたものであり、誹謗中傷や誤解を招く場合を除き、千葉分会は干渉しておりません。

無難なところに落ち着く

【投稿者:ヒカル】

朝、職場に行くために電車を待っていたら、
人身事故が起きてしまった。

電車は止まってしまった。

しばくら来ることがない。
ホームは人で溢れてきた。

そのうち並んでいた順番も意味を持たないくらいの混雑となり、

「これは遅刻だな」と、一気に諦めムードになってしまった。

振り替え輸送が許されたので、迂回ルートにすることを決断した。

反対方向の電車に乗り、途中駅で乗り換えることになる。
合計で3回もの乗り換えが必要だ。

電車は一向に来る気配がないし、ホームに人は溜まる一方。

仮に電車が来ても、しばらくは乗れないだろうし、
たとえ乗れても、超満員の電車は、気の毒である。

 

人の少ない反対ホームで電車を待っていると、
なんでこんなにも差があるのだろうと不思議に思った。

先程まで電車を待っていた向かいのホームに目をやると
恐ろしい程の人の数である。

あの中に自分がいたと思うと、ぞっとした。

「個」とは「集団」の中では、塵に等しく思えた。

みんな反対側の電車に乗って迂回すればいいのに、
どうして動かないのだろうと不思議に思った。

迂回したとしても、目的地への到着時間は
それ程変わらないであろうに・・・

人間というのは実に不合理な生き物だと思った。

 

もしかして人間は多数派を形成して、みな同じように考えて、
その考え方の檻の中で生きる、生き物なのかもしれない。

「何が良いか答えが分からない。
 だから、みんなが向っている方向に一緒についていこう」

これが人間の行動原理ではないだろうか。

 

信仰や宗教の分野についても、
同じことが言えるのではないだろうか?

真実が何かを人々は分からない。

それなら、たくさんの人達が考えていることを
基本とする方が無難ではないか?

それが現代人の本音ではないだろうか?

たとえ正しい道があったしても、一人で進むのは怖い。

周囲から爪弾きにされるかもしれないからだ。

結局は無難なところに人間は落ち着いて、
一生を終えてしまうのであろう。

『死後まで続く幸福のために』: 霊魂や低い幽気の悪影響を防ぐ (MyISBN - デザインエッグ社)

Kindl版もあります

死後まで続く幸福のために: 霊魂や低い幽気の悪影響を防ぐ (MyISBN - デザインエッグ社)