契山館 千葉分会ブログ

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信仰が無い時代、心も無い時代

【投稿者:いちか&ばちか】

皆さんどれくらいの間隔でニュースをご覧になっているでしょうか?

私達は、ほとんど毎日のようにニュースを見ています。

朝、時間があればネットのニュースを巡回して、
時間が無ければ朝食を食べながらテレビで流れてくるニュースを見たりします。

ニュースの内容を知っていれば、仕事で多少話題として使えたり、
職場の友人との会話の切り口としても使えるので、
ニュースは欠かせないと言えます。

でも、昔に比べ最近は残酷なニュースが増えたような気がして仕方がないのです。

昔は、テレビのニュースももう少しエンターテイメント性が
あったような気がします。

何々が売れているという話題や、芸能人のスキャンダルと言った
バラエティーの中にニュースが入っている感じですね。

最近は、朝から心が痛いニュースが主流です。

「どうして我が子をそこまで虐待するの…」と
思わず言葉を漏らしてしまったり、
「ここまで酷い事まで…」と、胸が締め付けられるような悲しみと共に、
飲み込めなくなった言葉が思わず口から漏れてしまうような
ニュースが多いのです。

 

最近の事件は、昔から人々が大切にしていた「心」が
無くなってしまったかのようなものが多いと感じるのです。

自分がぶたれたら痛いです。

酷い事を言われたら、傷付きます。

それは誰もが同じはずなのに、他者には平気で酷いことをすると言う事件が
あまりにも多いのです。

 

私達は、小さな動物を飼っていた経験があります。

鳥や犬、猫やウサギ達です。

彼らはそれぞれ個性がありますが、少なくとも、他者を死に至らしめるまで
虐めたりしませんでした。

 

昔、飼っていた猫がネズミを捕まえました。

捕るのも、殺すのもほんの一瞬の出来事でした。

でも、虐待が日常になっている家庭では、毎日のように
子供が泣き叫ぶ様を見ながら笑って、暴行や、
心無い言葉を浴びせかけているのでしょう。

そう考えると、もうどうにも心が痛みます。

そうした「心」が無くなってしまった現代、同時に
「信仰」も無い時代に入っているなと、
神伝の法を行わせて頂いている私達は強く感じています。

神を敬い、神に従い、神のご加護の下、生きていた人達は、信仰と共に、
心もあったのだと間違いなく思うのです。

道徳は、時代によって変わります。

ですので、道徳心と言っても、それはその時代にしか通用しません。

でも、神は永遠に不滅であり、神は連面とその存在を、
神伝の法によって示してくださっています。

そうした存在を愛するからこそ、そこから発生してくる信仰心には、
不滅の力があるのだと思います。

私達はとても未熟な修行者です。

信仰が未熟だから、心が未熟なのだと毎日痛感しています。

でも、信仰があるので、心があります。

今、傷付いた人が大変に多い時代です。

心が苦しい、心が疲れた、心が無くなってしまう前に、
どうか、神伝の法を知り、実践し、そして、神霊の貴い愛の下、
心を取り戻して頂きたいと、切に願っています。

信仰によってしか、癒せない心があります。
信仰によってしか、改善できない心があります。

全ては神霊の下、神伝の法を実践することでしか、
得られない愛があるのです。

悲しむあなたに、心が壊れそうなあなたに、真の救いがありますように。

 

ぜひ、あなたにお勧めしたい本があります。

『たましいの救い』 - 人は表面の心だけで生きてはいない
(MyISBN - デザインエッグ社)

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