冬と旅
【投稿者:なおいー】
皆様はどの季節が、お好きですか?
私は、断然、冬が好きです。
寒いのは嫌いだと仰る方の声を耳にする機会が多いような気がするのですが、
私は寒いのは苦になりません。
もちろん、防寒対策はしっかりとします。
厳冬期に半袖シャツで外出するような勇気?も根性?も、
私にはありません(笑)。
毎年、晩秋になって冬の足跡が聞こえ、
木枯らしが冬の匂いを運んでくる頃になると、私の心は
「冬が来た」と歓喜に満たされるのでした。
そして、2月も半ばを越え、春の足音が切迫しながら近づいてくると、
去り行く冬への名残を惜しむのでした。
私が20代の頃、ある詩人の方に、
「君はどの季節が一番好きかね?」と訊ねられました。
そこで私は躊躇なく
「晩秋から冬にかけてです。それも寒冷地や雪国の寒い冬が好きです」
と申し上げました。
するとその詩人の方は、
「それは君がまだ若いからだろう。人間、だんだん歳を取ると、
春や夏が好ましく思えるようになるものだよ」と仰いました。
この時の私は、そういうものなのだろうか・・・と思うしかなかったのですが、
それから、だいぶ年数が経過した現在でも、好みは変わっていません。
もっとも、その詩人の方は、当時70歳くらいでしたから、
もう少ししたら、私も、好みが変わるのかもしれません。
ところで私は、小学生の頃から、旅に出ないと生きていけない人間でした。
それは、「死」への恐怖と、学校で苛められる恐怖から、
一時的に逃避するためでした。
旅に出ている時と、音楽に集中している時、それに寝ている時だけが、
当時の私を、それらの苦痛から解放してくれたのです。
旅と言っても、小学生では、一人旅は無理だったので、
よく祖父が、あちこちと連れ出してくれました。
本格的な一人旅が出来るようになったのは、15~16歳の頃からで、
18歳の頃からは、長期の旅にも出るようになりました。
そして、20歳の頃には、《死後の世界》は
99パーセントあるだろうと思えるようになっていたので、
「死」への恐怖は、だいぶ軽減されていましたし、
苛めからも解放されていたのですが、やはりどこかに、
何か満たされない、との思いがあったのでしょう。
ずっと、数ヵ月おきに、長期の旅に出るという欲求は
押さえることが出来ませんでした。
1つの旅が終わるまでに、次の旅の企画を終えないと、
気持ちが収まらなかったのです。
それが、《契山館》と出会って入会したら、
旅に出なくても生きられるようになったのです。
今では旅に出るより、《霊的トレーニング》を欠かさずに行うことに、
人生最大の生き甲斐を感じます。
きっと、長年、求めていたものに、ついに出会えたので、
ようやく、私自身の中の何かが満たされて、満たされない代償として、
旅を求める必要がなくなったのだろう、と推測しています。
以前は、短期と長期を合わせれば、年に10回以上は旅に出ていたのですが、
現在では、《契山館》の集会や研修への参加を除けば、
旅に出るのは、年に一回程度です。
その一回というのは、厳冬期の寒冷地への旅で、
これだけは、まだ止められません(笑)。
昨シーズンは北東北を、今シーズンは2年振りに北海道を訪れました。
今シーズンの冬の北海道は、一時期強い寒気が入ったので、
海沿いの平地でも、最低気温マイナス25℃前後、最高気温がマイナス10℃以下と、
30年前を思い出させてくれるような低温が体験出来て懐かしかったです。
けれども、繰り返しになりますが、《契山館》の《霊的トレーニング》には、
かつての私の人生そのものだった旅を、
遥かに凌駕する何ものか(言葉が見つかりません)が存在します。
寒冷地への旅も、旅行中も《霊的トレーニング》を続けることが可能なので、
その準備をして出かけますが、どちらかしか選べないとしたら、
迷わず《霊的トレーニング》を取ります。
もし、皆様の中に、何か満たされない、という思いを感じている方がおられたら、
実はあなた様ご自身の意識が、
本物の《霊魂学》と《霊的トレーニング》を求めておられるのかもしれません。
本当は、どれだけ待ち望んでおられることでしょう。
元々、霊的存在である人間が、待ち望まないはずはないと思うのです。
《契山館》はいつでも門戸を開いております。
心当たりがおありの方は、ぜひ、門をお入りになり、お声をおかけ下さい。
《契山館》の各支部・分会では、お問い合わせを、心よりお待ちしております。