酒場のドン・フェルナンド
【投稿者:ヒカル】
これだけ本屋さんには書籍が並んでいるのに、
自分が吸い寄せられる棚は、だいたい決まっている気がする。
何となく手を伸ばした先には、サマセット・モームの書籍があった。
「こんなタイトルのモームの本もあったのか?」
黄色の装丁、それだけで、他の書籍より一際、目立っている。
「ドン・フェルナンドの酒場」がそれである。
世界各国を旅したモームだが、その中でもスペインには随分と
惹かれていたようだ。
旅行記のような内容になっていて、少し読んでみると、
一瞬のうちにモームの文章力の中に引き込まれてしまった。
〜
モームをはじめて読んだのは、高校の頃だったと思う。
ある教師からの薦めだったことを記憶しているのだが、
その本は「月と六ペンス」であった。
画家のポールゴーギャンをモチーフにした本作には、
今までなかったくらいの読書の楽しみみたいなものを
感じてしまった。
(内容を少し書こう)
株の仲買人をしていた主人公のストリックランド。
家庭仲も良く、平穏な生活を送っていたのに、
いつしか絵画の魅力、いや魔力の虜になってしまう。
自分の内面に湧き起こり、手放そうにも手放せない
想いみたいなものを、キャンバスに表現しようと苦闘する。
「魂の苦悶」みたいに訳されていたように思う。
家族を捨て、職を捨て、結局、俗世を捨て、画家に転身するわけであるが、
自分の魂を揺さぶる何かを表現するために、もがき苦しむ。
クライマックスは南太平洋のタヒチ。
遂にそこで自分の求めていた作品を完成させるに至る。
その作品は、「人間の原始性」とか「魂の本質」、「本源的なもの」、
「人類の創世」みたいに形容されていたかと思う。
この世の言葉で表現できないもの、という意味だろう。
しかし、その壮大な作品も、あっという間に焼失してしまうのだが。
この「作品の焼失」というのが、深い意味を持っているように
私には当時、映っていたと思う。
人間の不可解性を描いた作品であり、モームの作品全編に、
そのテーマが描かれているのである。
〜
「ドン・フェルナンドの酒場」は旅行記っぽさを醸し出しているから、
ライトなタッチで描かれているかと思いきや、
モームの抱くテーマがしっかり表現されていて、
読んでいて、とても深みが感じられる作品だ。
単なる旅行記ではなく、明らかに「作品」だと思う。
だから、軽くは読めない。
昔、モームは「通俗作家」とか言われていたのを聞いたことがあるが、
全然、そんなことはないと思う。
しかも現代の作家に比べれば、よっぽど「作家」だし、
作品は後世にずっと残るだろうことを考えると
「文豪」と言っても過言ではないように私は思う。
「ドンキホーテ」の作者セルバンデス、スペインの有名な画家エルグレコや
その他にも著名な者の人物論が展開されているし、
そこには深い人間洞察が見られるのは興味深い。
単なる文字から、スペインという国に読み手の私が存在しているかのように
感じられてくるのだから、書き手は凄いなと思う。
〜
スペイン滞在中にモームがよく行く酒場の店主、ドン・フェルナンド。
彼は骨董集めを趣味にしているのだが、
ある時、モームが絶対に気にいると思い、古い蔵書を仕入れてくる。
しかし、当てが外れてモームはその本を全く好まない。
買うつもりは全くないし、いくら値段を下げても買わない。
モームは他の骨董品が気に入り、購入するのだが、そのおまけに
遂に蔵書も譲り受けることになる。
ある時、パラパラとこの蔵書をモームがめくっていると、
案外、面白かったことに気がつく。
その内容を簡潔に言ってしまうと、見栄や名声を気にしているような人物が、
戦争で深い傷を負ってしまったことを機に、
今までの人生をあらため、正反対にある信仰の道に進むことになる。
ここにはモームのテーマである人間の不可解性が
しっかり表現されている。
〜
思えばモームの作品の中に見られる、人間の不可解性にはこんな面がある。
「人間の絆」「剃刀の刃」にも描かれるが、
俗なる生活から一転、痛烈な体験を境に、登場人物は信仰や神の道へと
人生の歩みを変えていくことである。
おそらくモームは人間の本質を、信仰・宗教、芸術、哲学の分野に
見ていたのではないだろうか?
~
今生きていて思うのは、地上の信仰のゴールは
契山館にあるということだ。
ご神霊やキリストへとつながる
真の信仰の道が実在しているからである。
信仰へと至る道は、求める人には多数、用意されていると思うが、
真の信仰に向かうのはいつだろうか?
それが「今生」であると、今のところ言い切れないのが残念だ。
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