契山館 千葉分会ブログ

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音楽と私(2)・・・楽曲紹介

【投稿者:なおいー】

今回は、2019年3月6日に掲載して頂いた
「音楽と私 」
の続編です。

と申しましても、音楽のことに付きましては、前回、述べさせて頂いた通りで、
現時点では、これ以上、付け加えるべきことはありませんので、
今回は、紹介させて頂く楽曲を、何曲か追加させて頂こうと思います。

なお、本稿は、あくまでも私の音楽的感性に基づくものであり、
必ずしも《水波霊魂学》を根拠としたものではありませんので、
その前提でお読み頂ければ幸いです。

最初にご紹介するのは、ヨハン・セバスティアン・バッハの楽曲です。

バッハは1685年に生まれ、1750年に没したドイツの作曲家ですが、
バッハ一族は有名な音楽家を多数排出しているため、今回のバッハのことは、
一般的にJ・S・バッハとか、大バッハと呼んで区別しています。

日本では「音楽の父」などと呼ばれることも多いようです。

専門的な話には触れませんが、それほど、
18世紀以降の音楽界に与えた影響が大きかったと言えます。

 

ただ、必ずしも親しみやすい楽曲ばかりではなく、長大な作品も多いので、
難解なイメージを持たれる方も多いようです。

ここでご紹介するのは「マタイ受難曲」から第65曲と第68曲の2曲です。

 

マタイ受難曲」は新約聖書の「マタイによる福音書」中の、
エス師の受難を題材にしていて、バッハの代表作であるばかりか、
宗教音楽史上の最高傑作と評価されています。

 

西洋の古典的な音楽は、中世以前からキリスト教との密接な結び付きの中で
発展してきました。

ですから、大まかに言って中世までの古典的西洋音楽は、
ほとんどが宗教音楽であったと言えます。

その後、時代を下って、キリスト教会の影響力が低下すると、
キリスト教とは直接的な関係がない、世俗音楽が台頭してきます。

 

バッハの時代ですと、まだ世俗音楽よりも宗教音楽の方が、
やや優位であったと思われます。

しかし、バッハが没した頃から、世俗音楽の台頭に拍車がかかり、
19世紀に入る頃には、音楽の主役は、完全に世俗音楽に置き換わっていました。

 

本稿ではキリスト教については触れませんが、
人々から素朴な信仰心が失われてきたのと同時に、宗教音楽もまた、
衰退の一途を辿ってきたのです。

 

バッハ以降の音楽史、特に、ここ100年の音楽の推移を見ると、
音楽は進歩しているどころか、むしろ退歩しているのではないかと、
感じざるを得ない部分があります。

やはり、人間の信仰心が薄れていくところに、
霊的な進歩・向上はないということと、軌を一にしているのではないかと、
危惧されます。

 

マタイ受難曲」は全曲を聞くと3時間以上かかる大作です。

また、宗教音楽はラテン語で書かれたものが多いのですが、
この曲はドイツ語で書かれています。

 

リンク先は第2部全曲ですが、その中の
第65曲「我が心よ清くあれ」
1時間31分50秒から1時間39分までと、

第68曲(終曲)「私達は涙と共に崩れ落ちて」
1時間44分20秒から1時間51分まで、

計 約14分程を、まずお聞き頂きたいと思います。

https://m.youtube.com/watch?v=8ZUFrlzX4Ko

 

次は、同じくJ・S・バッハの「ブランデンブルク協奏曲第5番ト長調」です。

ブランデンブルク協奏曲」は6曲からなる合奏協奏曲という
器楽曲(声楽が入らない、楽器だけで演奏する曲)で、
現在のドイツのブランデンブルク州の一部地域の領主だった人物に
献呈されたために、この楽曲名で呼ばれています。

全6曲だと1時間30分ほどかかりますので、今回は最も有名な、
第5番ニ長調をご紹介します。

3つの楽章からなっていて、全楽章を聞くと22分程です。まずは約11分の第1楽章のみ、

お聞きになってもよいと思います。

https://m.youtube.com/watch?v=o851Ck3Ru-s

 

次はモーツァルトの楽曲です。

モーツァルトは1756年生まれ、1791年没のオーストリアの作曲家です。

5歳で作曲を始めたと言われ、僅か35年の生涯に、
作品番号の付いた作品だけでも、600曲を越える楽曲を作りました。

今回ご紹介するのは、17歳の時に作曲された、
交響曲第25番ト短調で、10代のモーツァルトの代表作です。

 

モーツァルトと言うと、軽快な音楽がイメージされることが多いのですが、
数多くの音楽家の一致した意見としては、モーツァルトの音楽の真髄は、
「悲しみ」にあるということです。

悲しくて、なぜか懐かしいのです。

著名な音楽家や、熱心な音楽愛好家の間では、昔から「天使の悲しみ」
などと称えられてきました。

 

もちろん、《霊魂学》から言えば天使のはずはないでしょうし、
モーツァルトを高級な《指導霊》が指導されていたのかどうかも、
私には分かりません。

 

ただ、私は《契山館》と出会う前は、高級な《指導霊》が指導されるような方は、
人格者に違いないと思い込んでいたのです。

 

ところが、モーツァルトは、かなり世俗的な人物だったらしく、
天真爛漫ではあっても、どうも人格者とは、ほど遠いイメージだったのです。

 

でも、《契山館》と出会って、この世の人格者であることと、
《指導霊》の指導が受けられることは、別の問題であると知りました。

ですから、モーツァルトが、人格者ではなくても、
《指導霊》の指導を受けていた可能性はあるかもしれない、と思っています。

 

そういえば、音楽家に限らず、芸術家には常識にとらわれない自由人が多いですね。

行き過ぎると、協調性を失って、奇人・変人のように
見られてしまうことも多いようです。

 

ただ、芸術というものには、とことん妥協せずに信念を貫かないと、
自己のスタイルを確立出来ないところがあるので、難しいですね。

 

私も、自分では普通のつもりなのですが、家族からは
「こんな変わり者は見たことがない。とても付いていけない」などと
呆れられているようです(笑)。

 

さて、この曲は第4楽章まであって、全曲聞くと25分程です。

まずは、9分程の第1楽章のみを聞かれてもよいでしょう。

https://m.youtube.com/watch?v=ApvqOhbsriA

 

最後は、少し趣向を変えまして、ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」です。

ラヴェルは1875年に生まれ、1937年没のフランスの作曲家です。

この曲は、最初はピアノ独奏曲として作られましたが、
後にラヴェル自身によって、オーケストラで演奏する管弦楽曲に編曲されました。

何か、この世的でない雰囲気が感じられるような気がするのですが、
高級な世界のものではないのかもしれません。

かといって、下層の世界のものでもないように思えるのですが、
全く根拠はありません。

 

私の独断的な印象をお許し頂ければ、こちらは《指導霊》ならぬ、
普通の人間の悲しみなのかもしれません。

でも、それだけに肉体を持った人間には、共感しやすいのかもしれません。

こちらは、7分程の小品です。

https://m.youtube.com/watch?v=7UiA6mhFFoo